(写真:中山道ふれあい広場、2008年10月18日)
蕨宿内はこれといって見るものなく、ひっそりとした街並みが続く。宿内の本陣はあった場所には「蕨市歴史民族資料館」がまた300m程板橋よりに「分館」が設置されており、旧宿場の様子を示す模型や絵図・写真、蕨名物の「蕨双子織り」の織物機等が展示されている。宿場の浦和寄りには中山道ふれあい広場があり、休憩するには手ごろの場所である。
2008年10月18日土曜日
板橋~蕨(8.88km; 累計18.63km)
(写真:板橋、2008年10月18日)
中山道の旅も2日目。丁度9時に埼京線・板橋駅を出発する。商店街を抜け国道17号線の高架をくぐると、板橋宿の看板の表示。ここから雰囲気が東海道・品川宿に似た商店街が続く。商店街の中ほどに、この板橋の名前の由来となった長さ16mほどの「板橋」がある。下を流れる川は石神井川。橋には日本橋から2里25町33間(約9km)とある。国道17号線の両側に、昔のままに良く保存されている「志村の一里塚」を過ぎ、しばらく行くと荒川の戸田の渡しにでる。日本橋を出て初めての大河である。川を渡った先の100m下流の土手下には中山道戸田渡船場跡の碑がある。江戸時代は今の橋の下流100m程に渡船場があったようである。
中山道の旅も2日目。丁度9時に埼京線・板橋駅を出発する。商店街を抜け国道17号線の高架をくぐると、板橋宿の看板の表示。ここから雰囲気が東海道・品川宿に似た商店街が続く。商店街の中ほどに、この板橋の名前の由来となった長さ16mほどの「板橋」がある。下を流れる川は石神井川。橋には日本橋から2里25町33間(約9km)とある。国道17号線の両側に、昔のままに良く保存されている「志村の一里塚」を過ぎ、しばらく行くと荒川の戸田の渡しにでる。日本橋を出て初めての大河である。川を渡った先の100m下流の土手下には中山道戸田渡船場跡の碑がある。江戸時代は今の橋の下流100m程に渡船場があったようである。
2008年10月12日日曜日
日本橋~板橋(9.75km)
(写真:日本橋、2008年10月12日)
前回東海道53次の旅に出てから約3年半ぶりの日本橋を後にして一路進路を北にとる。神田駅そばの山手線のガードをくぐり神田須田町で左折し旧交通博物館を過ぎたあたりで右折、昌平橋を渡り神田明神下の交差点を左折すると国道17号に出る。神田明神で旅の安全を祈願し、17号沿いをしばらく行くと東大キャンパス前に出る。東大構内の安田講堂をみて、再び17号国道沿いを北上する。
山手線の巣鴨駅を過ぎると、別名「お婆ちゃんの原宿」で有名な地蔵通商店街がある。日曜日でもあったせいか通りは年配の男女でに賑わっている。庚申塚商店街を抜けるとそこはもう第1番目の宿となる板橋宿である。駅近くにはこの付近で処刑された近藤勇の墓所がある。
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