2010年10月22日金曜日

松井田~坂本(9.43km; 累計134.1km)

(写真;信越本線横川駅、駅前峠の釜飯屋・おぎのや、2010年10月22日)

松井田の宿をぬけしばらく行くと、「五科茶屋本陣」が昔ながらの姿で保存されている。茶屋本陣は大名が道中で、休憩した所で広い座敷や風呂場・台所などの設備がある。座敷からは白砂の庭越しに妙義山が一望できる。ここを出て信越本線沿いを歩くと横川駅に出る。新幹線の開業で今は信越本線の最終駅となり、昔の様な賑わいがなくなったが駅には峠の釜飯で有名となった「おぎのや」やその資料館があって中を覗くとその歴史等が垣間見れて面白い。

安中~松井田(9.53km;累計124.6km)

(写真;松井田から妙義山を遠望、2010年10月22日)

安中宿から松井田宿の間はなんと言っても妙義山の山並みがまじかに迫り道中ずっと楽しめることであろう。安中から街道筋をしばらく歩くと先方に妙義山が姿を現す。歩を進めるに従い妙義山が姿を変えその異様な山並みを見せてくれる。日本のなだらかな山になれた目には飽きない姿である。安中には「旧碓井郡役所」、「安中藩武家屋敷」、[新島襄旧宅」、等多くの遺跡が残っている。

2010年10月14日木曜日

高崎~安中( 10.38 km; 累計115.14km)

(写真:JR安中駅から東邦亜鉛の製錬所を望む;2010年10月14日)

高崎は古くは赤坂と呼ばれ、慶長年間に井伊直政により高崎に改名されたと言う。駅の周辺は40万都市としての賑わいが感じられる。町を抜け平坦な道をしばらく歩くと碓氷川の土手沿いの道を歩くことになる。昔この川が雨で川止めとなったときに利用されたといわれる板鼻の宿がある。板鼻の宿をぬけ、碓氷川にかかる鷹巣橋をわたり旧道沿いをしばらく歩くと安中の宿に到着した。駅のホームから正面の丘に昔カドミニュームの鉱毒で有名となった東邦亜鉛の製錬所の全貌が窺える。

新町~高崎(11.80km; 累計104.76 km)

(写真:倉賀野柳瀬橋下の土手から見た烏川、2010年10月14日)

1年ぶりに旅に出た。まだ暑さの残る1日で、JR高崎線の新町駅を10時ごろ出発する。住宅街をしばらく歩くと川沿いにサイクリングロードが続き川を眺めながら土手の上をしばらく歩くことになる。川にかかる柳瀬橋で直角に
右折すると倉賀野方面への道に続く。昔の面影が残る旧道をひたすら歩くとまもなくして高崎に到着。

2009年12月1日火曜日

本庄~新町(10.71km; 累計 92.96km)

(写真:神流川より日光連山を見る、2009年11月28日)

本庄を通り過ぎると続いた住宅街もまばらとなり、日光連山などの山々を遠く望むことができる。新町に入る手前には古戦場で有名な神流川を渡る。ここでは1582年織田信長の急死を受けて滝川一益と北条氏直が戦った由。現在は川のすぐ傍が自衛隊の駐屯地となっている。午後4時を過ぎると日が落ち始め、新町に着く4時半ごろには夕闇が迫ってきた。

2009年11月28日土曜日

深谷~本庄(10.71km; 累計 85.16km)

(写真:深谷駅、2009年11月28日)

この深谷駅を見て東京駅に似た立派なたたずまいを見てびっくり。深谷はレンガの産地として有名で、東京駅も深谷のレンガで作った由。これを聞いて納得。深谷の駅を出ると、中山道は国道17号線沿いに西北に道が続いている。中山道沿いには商店街・一般の住宅と切れ目なく家が続いている。

2009年10月11日日曜日

熊谷~深谷(10.5km; 累計 74.45km)

(写真:熊谷寺、2009年10月10日)

久方ぶりに中山道の旅にでる。JR熊谷駅を降りて5~6分程度歩くと熊谷直実の菩提寺として有名な「熊谷寺」がある。熊谷直実は平家の若き公達「平敦盛」を一の谷の合戦で討ち取り、後にこれがもとで仏門に入ったことで有名な武将である。敦盛が討たれた時の年齢は16歳だったと言われている。中山道は国道17号線と時々合流しながら熊谷から深谷まで住宅街の中をたんたんとした道が続く。名所旧跡の類は住宅の開発などでそのほとんどが失われ所々に小さい碑が残っているだけなのがさびしい。